はさき漁協
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■ 大漁節考察

[ 銚子大漁節とは?]
 元治元年(1864年)の春、下総の国(千葉県)銚子沖にイワシの大群が押し寄せ、海の色が変わりました。浜方は大漁に次ぐ大漁が続き、銚子の港はイワシ、イワシ、イワシで埋まりました。この豊漁を祝うため、川口明神で大漁祭を催すことになり、飯貝根浦の網元 網代 久三郎 と飯沼浦の 松本 旭光 そして俳諧師の 石毛 利兵衛 の3人が松本家の離れ座敷「夏陰の庵」に集まって歌詞を合作し、常磐津師匠 遊 蝶 が作曲し、清元師匠 きん子 が振り付けしたものを、この祭礼で漁師達が歌い踊ったのが、銚子大漁節の起こりと云われています。

 

正調銚子大漁節
(音声のみ、約4分20秒)

監修:「ひびき連合会」総帥 金島孝一
企画・制作・発売元:(株)ジョジョ

※音声の再生には無料のRealPlayerが必要です。

ひとつとせ 解 

各船とも網を張ると、たった一回でイワシがたくさんとれた。 そのイワシを船に積み込んで、ホーリャ、ホーリャと、まるで弓矢を射る唸り声と同じようなかけ声をかけて、川口を目指し櫓を漕いでいる。そのような船が何艘も次から次へと川口に入ってくる。

一番ずつに (各船とも一回ずつで。

  積み立てて (積み込んで。)
押し込む (櫓を漕いで押し込む。)  
大矢声
(弓矢の矢を射るときに出る唸り声と同じ様なかけ声のこと かけ声がとても勇壮なことを表現している。 大漁の時は漁師がそろって「ホーリャー、ホーリャー」と勇壮なかけ声をかけて港に入ってくるが、不漁の時はただ櫓の調子を合わせるために、小さな声で「エンヤー、エンヤー」とかけ声をかけるだけであり、大漁の時のかけ声と不漁の時のかけ声は違う。これは水揚げを待つ陸の人たちにも、大漁を知らせる連絡の意味も含まれていたようである。)

ふたつとせ 解 

川口から外川の沖までたくさんの魚群が押し寄せてきた。その群は大きなイワシである。 この歌詞は銚子半島をイワシが包んでしまうぐらい、鰯の群がたくさん押し寄せてきたということである。
ふたまの沖 (夫婦ヶ鼻から黒生までの概称。)   より (魚が集まること、近づくこと。)
よりがいい (大漁であること。)  

みつとせ 解 

どの船もいっせいにそれぞれのまねを上げている。そこを通わせ船が陸と港との間をいったり来たりしてイワシを運んでいる。それがとても景気良くにぎやかである。 今までの「ひとつとせ」から「みつとせ」までは海の魚群・漁獲の豊富さをうたったものである。
まね
(昔、旅館の玄関などに「まねき猫」が飾られていた。このまねき猫は「いらっしゃい、いらっしゃい」と人を招いているのである。この「まねき」、それが「まね」であり、イワシがたくさんとれたので、それを陸に知らせるために、棒の先に手拭いや笠などをつけて「まね」とした。この棒は竹棒でも杉の丸太でもよく、また棒の先につけるものも合図になりさえすればなんでもよいのであり、これでなければいけないという決まりはない。 春や夏、暖かくなった頃、沖合で笠をかぶるので、そのときなどはよくこの笠を「まね」にしたといい、これを「笠まねき」と呼んだ。)
通わせ船
(まねを見て、八手網船に寄ってきた船。すなわち大漁のイワシを陸まで運ぶ役目をするのが通わせ船。 この通わせ船はその網船の持ち主の船でなくてもよく、シラオ船でも猪牙船でもなんでも良いのである。通わせ船の運び賃は、そのときの「より」の状況により違うが、イワシの現物をもらったり、酒をもらったりすることもあり一定ではなかった。)

よつとせ 解 

昼夜イワシを煮ても煮余るほどたくさんのイワシがとれた。そのイワシはやっさかご3杯で1斗のぎょゆがとれた。それくらい脂肪ののりきった太ったイワシであった。 通わせ船が積んできて水揚げした生イワシを釜で煮て、〆粕を作るのであるが、その副産物として魚油がとれた。
たく
(炊く、煮ること。ここでは大釜で、とってきた生イワシを煮るという意味。)
三杯いっちょ
(二つの説がある。大漁節成立後1世紀以上になるので、どちらが正しいのか真偽は決められないが、二つの説は結局両方とも脂肪ののりきった太ったイワシを表現しているのである。)
1.) やっさかご三杯のことであり、やっさかご三つは本かご一つになる。
 やっさかご三杯のイワシを煮ると、一斗(18リットル)樽の魚油がとれる。
 ここではそのくらいよく太り、脂肪ののりきったイワシのことを表現している。
2.) いっぱいになること。
 魚油を入れる3斗8升(1升=1.8リットル)入りの樽があって、普通なら5杯でいっぱいになるのだが、
 大イワシなので3杯でいっぱいになった。

いつつとせ 解 

いつきてもイワシが大漁のために、ほしか場は空き間も隙間もないほどたくさんのイワシが干してある。
ほしか
(干鰯、生イワシをそのまま海岸等の砂地に干して作る肥料のこと。)
ほしか場
(干しかを作るために生イワシを干す場所のこと。 現在の長崎から小畑付近にかけて「場山」という地名が残っているが、当時ほしか場にイワシが干しきれなくなるとここに来てほしたところである。)

むつとせ 解 

朝から晩まで〆粕を大割小割にしているが、あとからあとから〆粕がくるので、手に追われ休む暇もない。
粕割
(生イワシを大釜で煮て、それを圧搾機で締めると〆粕ができる。それを割って天日に干すのであるが、割ることを粕割という。)
大割
(〆粕を小槌で叩いて荒っぽく割ること。)
小割
(大割になっている〆粕を手で小さく割ること。)

ななつとせ 解 

名高い利根川の高瀬舟は今日も〆粕や魚油を積み送っている。
高瀬舟
(水深の浅い河川で使用される船で、利根川での高瀬舟の積載能力は平均米俵で500俵であった。)

やつとせ 解 

大漁を祝って船頭や若い衆が、各網主から贈られた萬祝を着て、神社などにお参りに行った。
八だの沖合
(八手網船の漁労長のこと。)
萬祝
(網主から沖合、漁夫たちに贈られる大漁祝いの衣装 萬祝の生地は紺、黒、浅黄の三色に分けられ、背には網主の定紋や名前を入れ、波の模様の上に千鳥、亀、鶴、鯛などをあしらった模様が鮮やかに染め出されている。)
宮参り
(どこの神社とは決まっていないので近くのお宮でよいのである。)

ここのつとせ 解 

この浦、つまり銚子浦の川口神社は漁船の守り神であり、御利益あらたかでこの大漁となったのである。
この浦
(浦は海岸の意味であるが、ここでは銚子浦のことを指している。)
川口神社
(川口神社、祭神は速秋津姫命であり、一説に寛和年(986年)の創始とある。)

じっとせ 解 

十を重ねて百となる、千をとびこすような大漁年となった。
万両年
(大漁で千両も万両も収入のある豊漁の年の意味である。)


はさき漁業協同組合