1989年9月    エスパス・カルダン会場にて

                西洋絵画が追い越されるとき

                                ベアトラン・デュプレッシ

 

                  東洋は今世紀、西欧世界に著名な画家をさほど輩出してはいない。日本では、

                 1920−30年頃のモンパルナスの良き時代の藤田を、また更に同時代に近い

                 所では、北京生まれの中国人でパリに帰化しわが国では一貫したせいこうを収

                 めているザォ・ウォ・キーを挙げることができる。そして今、1928年の北端、小

                 樽に生まれた日本人、石郷岡敬佳だ。   

                  石郷岡敬佳は日本を棄てたわけ出がない。東京にアトリエを持っているが、そ

                 のコスモポリタン的性向ゆえに、ニューヨークにも、そして現在フランスのオルヌ

                 県にもアトリエを持つようになった。この発展ぶりはいわれなきものではなく、い

                 つもながらアメリカ人が彼のうちに才能を見い出し、 名声を付与するだろうこと

                 はまず間違いない。                                          

                  華ひらく色彩は、 ここではピオトープ(生活圏)模倣画ともいえるほどに、自然

                 と完璧な共棲にある 日本の偉大なる伝統を受け継いだ金と黒は、西欧絵画の

                 半ば形象的、 半ば抽象的試みと調和している。 それは石郷岡敬佳にあっては

                 あたかも銀を混ぜた金粉から成るような作品として表され、 漆という東洋固有

                 の古来から伝わる高度な技術を思わせる煌めきの中にうねるのが見える。 化

                 石が現れ、元素が共存する、その花々と水の戯れを間近に凝視していると、我

                 知らず、照射する太陽を大量に浴びて爆発寸前の宇宙の核が融合する大自然

                 を連想するのである。

                  石郷岡敬佳の手法は一つの美学である。というのは、それは、進歩を拒否し

                 な東洋絵画の伝統と、 色彩と画風の緊密な結びつきで芸術空間をなす時空

                 の小宙を油絵に創造する一芸術家の哲学的内省との、 結合であるからだ。

                  石郷岡敬佳は、その筆致のしなやかさ、その色彩の熱気、その絵画構成から

                 発する精神の深みによって、新しい道を切り開いた。もしかしたら、この道が明

                 日の道となり、数千年前に起こったように、この道に西欧絵画が追い越されるこ

                 とになるかも知れない。ー−−西欧絵画は警戒が必要だ。