飯高檀林




天正10年(1582年)飯高の城主平山刑部の招請により、現在の地に基盤をおいた。檀林とは仏教の学校のことでここは日蓮宗の根本檀林で全国に多数ある檀林の上の檀林最高学府です。
天文5年(1582年)京都で法華の乱が起こり比叡山の勢力に町衆が主体である法華勢は敗退し日蓮宗は消滅してしまいました。しかし向学に燃える学僧たちはここ八日市場の飯高に勉学の場を求めたのです。又、建立に際し家康の側室おまんの方の力添えでその実子紀伊大納言頼宣及び水戸中納言頼房が檀林整備に尽力しました。水戸光圀はこの地に2度訪れており桜並木を植樹され今も残っている一本が黄門桜です。
現在の大学で最古の歴史を誇っているのが立正大学です。その立正大学は飯高檀林を継承しているので飯高檀林は近代大学の発祥の地になります。






飯高檀林を愛する人たちにより時たまコンサートが開かれます。







檀林山門

黄門桜

制作 大関写真館
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